宮崎学さんキツネ目に涙
「電脳突破党」大会で仲間たちに語った出馬への熱い思い

内外タイムス7月3日報道記事


早稲田闘争振り返り「闘う精神性こそが問題」

 1日、参院選比例代表に新党・自由と希望(白川勝彦代表)からの出馬を正式発表した宮崎学さん(55)。盗聴法や個人情報保護法反対を前面に掲げ、インターネット上で支持拡大を訴えるほか、グリコ・森永事件の「キツネ目の男」をポスターに使うことも検討中など、ユニークな選挙戦で台風の目となりそうだ。その宮崎さんは出馬会見に先立ち、都内で「電脳突破党」の大会を開き、仲間に出馬に至る熱い思いを語った。


参院選出馬を正式表明

 「これまで選挙というものは『行ってもシャーない』という考えでいたが、今回はこれを変えて自らが出ることにした。

96年10月に『突破者』を出版したが、このときはバブルがはじけ、今もそうだが借金まみれの状況で死に場所を探したい気持ちだった。それまで生きてきたこと自体が不思議な人生だったが、本を出してみると思わぬ反響があり、この際世間に恩返しをしたいという気持ちになった。

それが政治的な発言や盗聴法の運動、衆院選での栗本慎一郎さん、長野県知事選での田中康夫さん、衆院補選での川田悦子さんを支援する闘いだった。だが、これは応援という引いた形のもので、斜に構えた僕の限界性だった」

 宮崎さんはさまざまな執筆活動の傍ら、一昨年の盗聴法反対運動では自ら先頭に立った。そして同法か国会で可決されると、廃止を求め2年間の期間限定でインターネット政党「電脳突破党」を立ち上げ、腐りきった政治に風穴を開けるべく、「楽しく闘う」をモットーに候補者を支援する運動に取り組んできた。

 「昨年の加藤(紘一)の乱、そして今回、一連の小泉の動きを見た時、僕自身がどう動くかを考えていた。今回は白川勝彦さんを応援しようと考えていた。白川新党では10人の候補者を立てようと検討していたが、小泉人気で腰を引く人間を目の当たりにし、『じゃあ、おれはどうなんだ』と考え、自ら出るという結論に達した。僕が議員になる可能性はほとんどゼロ。僕が出ることによって白川新党の役に立てばいいと思っている」


世間にお返しをしたい

 宮崎さんは早稲田大学在学中、共産党員と学生運動に没頭した。だが、その限界性を感じると党を離れ、大学も中退した。

 「1968年の早稲田闘争のとき、2人の友人がいた。2人とも熱心な活動家で、それこそ寝ずに活動していた。1人は在日朝鮮人で帰化した人、もう1人は被差別部落出身だった。2人に対する共産党の態度は『在日の帰化、被差別部落だからがんばるのは当たり前』というものだった。2人はいずれも自殺した」

 宮崎さんはここまで話すと、突然声を詰まらせた。トレードマークのキツネ目からは熱いしずくが流れ出た。会場は静まり返り、やがてハンカチで目頭を押さえる人も見られた。

 「社会の変革といいながら…(聴取不能)。今の僕の問題意識その他は、この2人の友人によるものだ。この血の叫びに対して僕は『兄弟』と呼ぶことができなかった。自分はこうしたいろいろな人たちの屍(しかばね)の上にある。

『突破者』は遺書のつもりで書いたが、思わぬ反響があり、世間にお返しをしたいと思うようになった」

 ひと言も聞き漏らすまいと身を乗り出す党員、党遊、キツネ目組組員を前に、宮崎さんはこう締めくくった。

 「自分は誤りに誤りを重ね、今に至っている。たたくどころか歩けばほこりの出る人間だ。だが、どんな大きな鉄瓶でも沸騰した湯がこれを持ち上げてしまうのが歴史だ。鉄瓶に当たる水滴、かげろうのようなものだが鉄に傷をつけるような存在になりたい。

こんな身勝手な『勝手おじさん』とともに闘おうという人が1人でもいる限り、闘い続けたい。勝つか負けるかは問題ではない。この(闘うという)精神性こそが問題だ」

 突破者の新たな闘いが始まった。

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